Secret GardenⅡ

アンティークや可愛いもの、そして奈良とつよしくんが大好きです。

告白

本日は昨日の追記に書いた湊かなえの『告白』↓について、ブラックRosemary全開で(^_^;)お送りしたいと思います。

告白

告白

今さらあらすじを説明するまでもないでしょうから(知りたい人は自分で検索してください。いくらでも出てきます)、さっさと感想に移りましょう。
ちなみに、この作品を既に読み終えていて、面白かった、と思った人は以下の感想は読まないほうが賢明かと。
かーなり辛辣な感想になるのは間違いないので。



では、覚悟(?)のほどはいいですか。



まず、読後第一声の感想は昨日も述べた通り「不愉快」、この3文字に尽きます。
この作品に否定的な人の大半は読後感が悪い、救いようがない、といった感想を持たれたと思いますが、こういうのは「不愉快」と言うのですよ。
何が不愉快って、この人の想像力のなさにうんざり。
登場人物も内容も全てが安っぽい三流記事の拾い集めでしかなく、それを見事なまでに不恰好に継ぎはぎしたものを、『物語』として堂々と提示してしまう横着さというか、浅はかさに心底ムカつくんですが。

ものすごい筆力で、ぐいぐいと読ませる、なんてレビューも見ましたけども、確かにさーっとは読めますよ。
しかし、それは彼女の筆力のなせる業では決してありません。
書いてある内容がこれまで散々安っぽいワイドショーや三流週刊誌で語られてきたようなことであり、読者としては今更考える必要もないようなことの羅列だから、さーっと読めるだけのことです。
散々手垢のついた、使い古された、誰にでも理解できる浅はかな感情論ゆえに、大半の読者はあっさりとそれに同調してしまえるんだろうと思います。
いわば、センセーショナルな記事の見出しに、中身はどんなのだろうと野次馬根性で読んでしまう感覚に一番似ているんじゃないかな。

この記事を書く前に、一応彼女の人となりというか経歴を調べてみたんですが、昼間は主婦業、執筆は朝晩というライフスタイルというのを目にして、激しく納得してしまいました。
要するに、この人は昼間の主婦業の合間に見たワイドショー辺りからこの作品の着想を得たんだな、と。
有識者ではなく、タレントに毛が生えたようなコメンテーターの意見に物申す的なスタンスが、終始一貫してこの作品の根底に流れている気がします。
事件の一番センセーショナルな部分だけツマミ食いして、その根底に流れるものには一切目を向けていないですから。

登場人物や作中に出てくる事件も、実在の人物や事件を題材にした、と言えば聞こえはいいですが、それを自分なりに消化して提示してあるならまだしも、イニシャルで匿名にしただけで、まんまそのままですよ。
読んだ人なら、これはあの人のことで、これはあの事件のことだ、というのがピンと来るぐらいそのままというのは、いくらイニシャルだろうとこの人の人権感覚とか倫理観を疑ってしまうんですが。
特に実際の事件の関係者の方々にとっては、フィクションとは言え、実在の事件、人物を容易く想起してしまえる書かれ方に、新たな嫌悪感や苦しみをを覚えるのでは。
しかも、綿密な取材をした形跡は一切ないですし。
あくまで、一般の主婦がテレビや雑誌から得た程度の知識であり、それを2時間サスペンス並みの安い作りにして書いた点に、何より憤りを感じるのでした。

これは教育問題や少年犯罪に一石を投じる問題作でもなければ、秀逸なサスペンスでもなんでもないですよ。
この人がいかにきちんと取材して書こうという意欲がないのか、というのは、HIVに関する誤った知識や物語で出てくる薬品や爆弾についての詳細な記述がない、ということからも明白です。
教師=聖職者とあっさり書いてしまえるこの人のステレオタイプな感覚にもうんざり。
少年犯罪を犯すもの=家庭に問題あり、特にマザコン、と言った安直な発想も。
その安直さは結局主人公の森口の思想に如実に現れているわけですが。
犯人Aの少年を倫理観が乏しいと糾弾しながら、一番倫理観に乏しいのはこの主人公です。
実際、少年犯罪の被害者及び家族が法の限界を感じながらも、同じ手段で報復しないのは、犯人と同じものに成り下がるわけにはいかない、との尊厳があるからではないですか。
同じものに成り下がった瞬間、亡くなったものを悼む資格すらなくなる。
そう思うからこそ、憎しみを同じ手段で返すことを自ら禁じている。
犯罪被害者の方たちがもがき苦しみながら人であり続けようとする理由は、そういうことではないのか。

そういったことに一切目を向けずに書かれたこの作品は(作品というのも嫌なのですが)、ただ単にこれまでのセンセーショナルな事件の表面だけを掬い上げて、自分の鬱憤をぶつけただけの極めて利己的な話でしかない、というのが私の感想です。
どこまでも利己的、そして想像力のなさゆえにラストがあそこで終わってるんだろうな、と。
あの作品をきちんとした着地点に収める力量がこの作者にはない、というのが一目瞭然。
本当にこの作者が少年犯罪や教育問題に一石を投じる気概、あるいは真摯な想いがあるなら、主人公はもっと違った生き方を選択したはずです。

同じ少年犯罪、そして復讐を扱ったもので思い出すのは、宮部みゆきさんの『スナーク狩り』。

スナーク狩り (光文社文庫)

スナーク狩り (光文社文庫)

こちらのラストも宮部さんの作品にしては読後感の良いものではありません。
しかし、圧倒的に『スナーク狩り』の方が読者に訴えかける力があります。
それは、人から怪物へとならざるを得なかった過程を克明に描いてあるだけではなく、きちんと登場人物たちのその後に向き合っているからです。

最後に、『スナーク狩り』のラストの一文を引用します。

でも、織口さんのような人が、怪物にならなければならなかったことが、私は悔しくてたまらない。間違っているのは、織口さんや、修治さんや、わたしたちじゃなくて、もっと別のところのような気がするのです。
織口さんを金沢まで乗せていった人、ほら、神谷さんという人です。あの人も、同じようなことを言っていました。
「我々は、被害者同士で殺しあい、傷つけあったような気がしますね。」と。