Secret GardenⅡ

アンティークや可愛いもの、そして奈良とつよしくんが大好きです。

高畠華宵の世界

今日は曇りのち雨、そして、異様に暖かい1日でした。
暖かいというより、むしろ、蒸し暑いみたいな。
ここの所寒い日が続いたので、こんなに急に暖かくなられると変な感じなんですけど。

ところで、この週末は仕事の予定だったのが、「たいしたことないから、いいぞー。」と言ってもらったため、お城の敷地内にある文学館に行くことに。
前回行った時にアンケートに回答したら入館チケットが当たったので、それを利用して今開催中の『大正ロマンの画家 高畠華宵の世界』を見てきました。


高畑華宵(たかばたけかしょう)の名前は知らなくても、この絵を見たことある人はきっとたくさんいますよね。
私が最初に彼の絵を見たのは、多分小学校の図書館で読んだアルセーヌ・ルパン・シリーズではないかと思います。
今日、展示されている本を見て、はたと思い出しましたよ。

大正から昭和初期にかけて活躍した挿絵画家ということで、館内にいたお客様は圧倒的に年配の方が多く、皆さん懐かしそうに絵を眺めていらっしゃいました。

大正ロマン」という言葉にはノスタルジックで甘美な響きがありますが、高畠華宵の絵はまさにそういったイメージ。
戦争や不況といった暗い世相が続く一方で、近代化と都市化が進み、街には流行の先端をいくモダンガールが登場するなど、大衆文化が大きく花開き、広告文化も発達した時期に、ツムラ順天堂の婦人薬『中将湯』の広告絵で華々しくデビューし、その後、『華宵好み』と呼ばれる独特の美少年・美少女、美人画を多数描きました。

特に、『少年倶楽部』などその当時爆発的人気を誇っていた講談社の雑誌の表紙をたくさん手がけました。
そのため、一時は講談社専属の挿絵画家のように扱われていたそうですが、あまりに華宵の原稿料が上がったことから、講談社と決裂してしまいます。
しかし、これを期に雑誌は絵を愛でるものではなく、文章で勝負するものだ、という方針に転換した講談社はその後数々の名作を世に送り出すことに。
華宵の存在が後の講談社を築いたとも言えるわけですね。
というように、一世を風靡し、多方面に影響を与えた華宵ですが、戦後、養子の華晃(かこう)と共に渡米するも、宇和島市長や衆議院議員を務めた兄・亀太郎に借金を申し込むほど生活は困窮していたそうで、帰国後は兄の勧めにより老人施設に入所しています。
『華宵御殿』と呼ばれるほどの大邸宅に住んでいた人が最後は老人施設で過ごす羽目になるなんて、画家の人生というのは本当に浮き沈みの激しい世界なんですねー。
もっとも、晩年は少年時代に彼のファンであった弁護士の狩野琢見氏(かのうたくみ)と出会い、氏の勧めでファンクラブを設立するなどして、再び脚光を浴びたようですが。

この展示会、来年の1月27日(日)まで開催しています。
企画展に着物で来館された方は2割引だそうですよー。
これは着物デザイナーとしても活躍した華宵らしい特典ですね。
ちなみに、彼は生涯同じデザインの着物は1枚として描かなかった、と言われているぐらいデザイナーとしても優れた才能を持っていたようです。
展示会ではそんな華宵の才能の一端を垣間見れる、当時の最先端衣装に身を包んだ総勢60名の登場人物が描かれた屏風絵も見られますので、ぜひ足を運んでみてくださいね。
運がよければ、ハイカラさんな羽織袴に身を包んだ学芸員さんの解説付きで展示を楽しめます。